向島の仲間たち「向島百花園Vol.2」
投稿日: 2014/04/09
『つなぐ通信』Vol.5春号の
「特集」で取材した「向島百花園」佐原家7代目
佐原洋子さんの第2弾です。
洋子さんの母・幸子(ゆきこ)さんは、
佐原家5代目の佐原梅吉さんの娘で、4人姉妹の長女。
父・榮さんは、百花園のすぐ近くの
白鬚(しらひげ)神社の宮司です。
・・・・明治30年代の向島百花園全景(『風俗画報』より)・・・・
佐原家6代目は、洋子さんの叔父の
佐原菊典(きくすけ)さんですが、戦死してしまったので
子供2人を連れて出戻っていた洋子さんが
佐原家7代目となることになりました。
白鬚神社は妹の凉子さんが継いでいます。
とても仲良し姉妹で、洋子さんは百花園の行事はもちろん
白鬚神社の行事や祭りにも喜んでお手伝いに出かけています。
・・・・春の七草。佐原家では七草粥は「七草叩き」の
歌を歌いながら、七草をまな板の上でトントン叩いて作ります・・・・
・・・・毎年宮中に献上される「春の七草籠」
(写真提供:佐原滋元さん)・・・・
・・・9月には「月見の会」が行われます(写真提供:佐原滋元さん)・・・・
洋子さんの父・今井榮(しげる)さんには
隅田川地域の庶民生活を描いた
『墨東歳時記』(有明書房)という著書があります。
※今井榮さんのことは「向島百花園Vol.1」をご覧ください。
江戸末期から明治、大正にかけての、
隅田川地域を中心にした
下町庶民の生活習慣、行事、風俗、人情などが
鮮明に描かれたものです。
どうしてこのような本を書き残そうとしたのか…
それは『墨東歳時記』の
「序にかえて」に感動的に書かれています。
榮さんは、白鬚神社という厳格な家に育ちながらも
「モボ・ボガ」と呼ばれた新しい考えの持ち主でしたが、
美しい故郷が焼け野原となって敗戦を迎えたことが
大きな転機になったように思えます。
自分が生まれ育った時代と違い、孫の生まれた時代は
敗戦後の混乱期で日本の最悪の時代。
日本の伝統が投げ捨てられた時代だったといいます。
自分の育った時代は、学校でものを教わると同時に
家で親や祖母からしつけを叩き込まれた。
(その時はうるさいと感じていたことも)
年をとるにつれて「ありがたい賜物」と考えるようになった。
なぜならば自分の日常の立ち居振る舞いから
言葉遣いにいたる些細なことにまで
親や祖母の暖かい目が届いていたことに気づいたからです。
親や祖母にそのことを感謝すると同時に
そういう世の中を作った当時の日本に感謝すると
綴っています。
しかし、今の自分は日々の生活に追われ
親や祖母が自分に向けてくれていたようなことを
自分の子供や孫にはできていない。
自分がしてもらった「ありがたい賜物」を子供や孫に
伝えられないことを恐れている。
だから、今のうちに「ありがたい賜物」が詰まっている
下町の生活習慣、行事、人情などを調べて次の世代に伝えたい。
この本を自分の孫に読ませたい。
そういう思いで書き上げた本でした。
・・・・現在の百花園の東屋。江戸時代当初は
梅の名所として賑わいました・・・
孫の佐原家8代目の佐原滋元さんは子供の時に、
人力車に乗せられて、榮さんと一緒に下町の調査に
連れて行かれたことを覚えているといいます。
あまりにも幼かったため、
当時はほとんど興味を示しませんでしたが
現在は郷土の歴史研究家として活動。
娘のまどかさんに言わせると
「お父さんはかなりの歴史オタク」なのだとか。
・・・・江戸の庭園と21世紀のスカイツリーとの
不思議なコンビネーション・・・・
また、榮さんは「序にかえて」の中で
「箸の持ち方」をとても重要視しています。
教壇に立っていた時に生徒の箸の持ち方に注意を向け、
「正しい箸の持ち方をしている子供」と
「変則的な箸の持ち方をしている子供」を
比較調査したといいます。
正しい箸を持っている子供は、
親たちが温かく子供を見守っており、
子供も穏やかな性質が多いという結果を得ました。
根気よく子供の箸の持ち方を直すほどの親は
誠実で思いやりが深い。
自分の箸の持ち方を正しく改めるほどの子供は
わがままなところ無く清純であるといいます。
・・・・江戸時代から百花園には政財界、文化人などの有名人が訪れました。
佐藤栄作総理大臣もお忍びで訪問し、洋子さんが対応しました・・・・
佐原家での「正しい箸の持ち方を重視」する伝統は
まどかさんの世代にも受け継がれています。
まどかさんはどんなにイケメンで学歴が高くても
箸や茶碗の持ち方のおかしい男性に
心を寄せることはないと言い切ります。
以前アルバイトに来た
一流会社に入社が決まった学生が「にぎり箸」。
保母になりたいという学生も箸の握り方がおかしく、
滋元さんとまどかさんは、常識的な大人としての
箸の持ち方を矯正してあげました。
佐原家での親のしつけは厳しかったようです。
しかられて蔵に入れられたり
殴られるのはしょっちゅうと、滋元さんはいいます。
向島周辺には工場が多く、
全国各地からやってきた職人が住んでいるし、
テキ屋もいれば、ちょっと危ない職業の人もいる。
祭りは色んな世代や立場の人が一緒に行います。
一見無礼講だけど、ちゃんと秩序がある。
色んな立場の人と付き合うことで訓練され
「世間」というものを学んでいくのだといいます。
・・・・百花園内にあった住居。東京空襲で焼けてしまいましたが
佐原鞠塢(きくう)が大切にしていた家宝の「福禄寿様」が奇跡的に無事で、
現在も七福神のひとつとしてお正月に御開張されています・・・・
滋元さんは、小学校の低学年では「社会科」ではなく
「世間」を教えるべきだといいます。
隣りのお爺さんやお婆さんと話すことの重要さ。
何をしたら怒られるのかを体験することの重要さ。
「ばれなければいい」「稼げればいい」のではなく
「世間様が見ている」「お天道様に恥じないよう」
という「道徳」を、家族や近所の方々に
教えてもらうことが大切だと熱く語ります。
そういう蓄積があって初めて「社会科」になるのだと。
・・・・向島百花園の近くの墨堤通り沿いにある白鬚神社・・・・
・・・・白鬚神社夏の例大祭の神輿(写真左)。長女の洋子さんが
佐原家7代目になったために白鬚神社は妹の凉子さんが継ぎました。
現在の宮司は凉子さんの息子の今井逹(いたる)さん(写真右)です
(写真提供:佐原まどかさん)・・・・
向島界隈では、「口うるさい人」が健在です。
住んでいる人の顔や名前の分かる村や町では
近所で見守ることができ、
詐欺や泥棒の犯罪も防ぐことができます。
そういう町の良さをなくさないように
向島の人たちは、仲間や家族の絆を
深めているのかもしれません。
【文・写真:成田典子】