向島の仲間たち「向島百花園Vol.1」
投稿日: 2014/04/02
『つなぐ通信』Vol.5春号では
「特集」や「大人のまち物語」の取材で
「墨田区向島」に触れる機会が多くありました。
取材を通じて感じたのは
「仲間の絆」や「下町の人情」の厚さです。
誌面では伝えきれなかった「仲間物語」をお話します。
「向島百花園」佐原家7代目の佐原洋子さんや
息子の8代目の滋元さん、孫のまどかさんも、
向島で生まれ育ち、地元を愛する家族です。
・・・・『つなぐ通信』Vol.5で取材した佐原洋子さん・・・・
・・・・向島百花園の入口には、江戸の文化人太田南畝(蜀山人)の書
「花屋敷」を彫った看板(複製)がある・・・・
向島百花園は、江戸時代、骨董商を営んでいた
佐原家の祖・佐原鞠塢(きくう)により開園されました。
現在は東京都が運営しており
佐原家は百花園内で「茶亭さはら」を営業し
喫茶、おみやげ、「御成座敷(おなりざしき)」での
お食事のサービスを承っています。
向島百花園の成り立ちは『つなぐ通信』Vol.5や
「茶亭さはら」のWebサイト「墨東歳時記」
をご覧ください。
歴史好き、歳時記好き、植物好きの方は必見です。
・・・・Webサイト「墨東歳時記」を運営しているのは
8代目佐原滋元さん。郷土史家として墨田や向島の歴史に造詣が深く
NPO向島学会でも活動しています・・・・
今回は、佐原洋子さんの父・今井榮(しげる)さんの話しです。
洋子さんの母・幸子(ゆきこ)さんは、
佐原家5代目の佐原梅吉さんの娘で、4人姉妹の長女。
父・榮さんの実家は、
百花園のすぐ近くの白鬚(しらひげ)神社です。
名門向島百花園のお嬢さんである幸子さんと、
由緒ある白鬚神社の長男・榮さんが結婚し
洋子さんと妹の凉子さんが生まれました。
子供の頃洋子さんは、母の実家である百花園と
白鬚神社を遊び場のように行き来していました。
・・・・(左上)百花園の御成座敷の縁側に座っている洋子さん。
(左下)海水浴に出かけ真っ黒に日焼けした洋子さん(百花園で)。
(右上)終戦後すぐに、最先端のつけまつげを付けて写したもの。
孫のまどかさんにそっくりで、まどかさんもビックリ!・・・・
白鬚神社の宮司である、榮さんの父・今井直(ただし)さんは
「歩く道徳」というくらい四角四面で
とても厳格な方であったといいます。
「文人墨客(ぶんじんぼっかく)」といえば聞こえがいいですが
江戸時代から“訳の分からない人たち”が集まる
百花園を直さんは、あまり快く思っていなかったようです。
そこに自分の息子が入り浸り、
しかも百花園・佐原家の幸子さんと結婚することになるのです。
・・・・アルバムの左上が父・榮さん。
左下が龍胆寺 雄。写真に直筆のサインがあります・・・・
また、榮さんはモダニズム文学の旗手といわれた
龍胆寺 雄(りゅうたんじ ゆう)と大親友でした。
西洋文化の影響を受けて新しい風俗などが
あらわれた昭和の初めは、
「モボ・モガ」呼ばれる最先端の若者文化が生まれました。
龍胆寺 雄や、榮さん、幸子さんも
「モボ・モガ」を地で行ったオシャレ人でした。
龍胆寺 雄は、洋子さんをとても可愛がっていたようです。
洋子さんのために洋服を自分でデザインして裁断して、
それを幸子さんが縫いました。
・・・・百花園の「虫ききの会」で撮影した幸子さん(16歳)と
幸子さんの妹の満子さん・・・・
・・・・萩の美しい季節に百花園で撮影した幸子さん。
「母はとってもきれいでオシャレな人でしたよ」と
洋子さんは話されます・・・・
・・・・向島百花園は江戸時代からの萩の名所と
しても有名で、全長30mの「萩のトンネル」は
秋の風物詩として親しまれています。職員の方が
トンネルの準備を行っていました。
9月〜10月にかけて見頃です・・・・
しかし、直さんからすると龍胆寺 雄という
「不良少年」と付き合っている榮さんは勘当ものの存在。
かなり強引に引き離そうとしたそうです。
本来ならば、今井家の長男で
白鬚神社の跡取りとなる榮さんでしたが
家督を弟に譲り、自分は中学の国語教師になり、
その後は明治書院に務めています。
これは経済的な理由や父親への反発、
もっと自由に自分の道を進みたいという
気持ちが大きかったようです。
洋子さんの、自由でおおらかな性格は
両親の血を受け継いでいるのかもしれません。
その後榮さんは弟が早くに亡くなったこともあり
白鬚神社に戻り宮司となりました。
・・・・白鬚神社は、旧寺島村の鎮守様として
歴史のある神社。夏の例大祭の神輿、お正月は
祭神の寿老神の七福神巡りが有名です・・・・
一見「吾が道を行く」の自由人だった榮さんですが
向島界隈や隅田川沿いの江戸時代の名所が
明治の産業革命頃から破壊され始め、
関東大震災、そして東京大空襲と
壊滅的な打撃を受けたことで、
心に大きな変化が訪れたようです。
この続きはは次回お話します。
【文・写真:成田典子】