向島の仲間たち「お静Vol.1」
投稿日: 2014/03/25
『つなぐ通信』Vol.5春号では
「特集」や「大人のまち物語」の取材で
「墨田区向島」に触れる機会が多くありました。
取材を通じて感じたのは
「仲間の絆」や「下町の人情」の厚さです。
誌面では伝えきれなかった「仲間物語」をお話します。
・・・・隅田川七福神の長命寺はこの先。
看板をOKするのも平山さんならでは、かな・・・・
築90年近い木造家屋を改装したワイン屋「お静」は、
まずその佇まいに驚きます。
店内に一歩足を踏み入れると
そこはタイムスリップしたような昭和空間!
「お静」は店主の平山隆一さんのお祖父さんの代からの家。
戸棚、食器、イス、レジスターなど
まわりにあるヴィンテージの品々は
平山さんにとっては
「当たり前のように」使ってきたもの。
店内に何気なく置いてあるものには
マニアにとっては凄いお宝であったりするのです。
・・・・懐かしい丸飯台を改良したテーブル。
昔のビロードの椅子は、小さめの日本人サイズ・・・・
・・・・近所の方から頂いたという手動レジスターは、
戦時中の金属類回収令にも隠し通したもの。もちろん現役・・・・
洋服の仕立て屋だったお祖父さんから
「ぜったい捨てるなよ」といわれたのが
お得意様だった力道山専用のズボン掛け。
力道山といえば、昭和のプロレス界のスーパースター。
お祖父さんは、どんなに誇らしかったことでしょう。
力道山専用の腰掛椅子もあります。
採寸するとき、お祖父さんは
もうひとつの椅子に上がり、
大きな力道山を採寸したといいます。
・・・・力道山専用の腰掛け椅子と、
お祖父さんが力道山を採寸する時に乗った椅子・・・・
・・・・仕立て屋だった時代のオーダー生地に付いていたブランドタグ・・・・
「お静」というのは、お祖母さんの名前です。
当時、神田で「お静」という小料理屋もやっており、
大学生だったお母さんが、お店を手伝うために、
わざわざ調理師免許をとりました。
平山さんの本業はワインの輸入商ですが
慣れ親しんだこの場所でワインの販売店も始めようと
「お静」の名前を50年振りに復活させました。
その後ワインバーもやることになり、
息子の亮さんやお母さんも手伝い始めました。
家族の思い出のたくさん詰まった店に
お客様をお迎えすることは
平山さんにとっては、まさに「おもてなし」。
喜んでいただきたい、楽しんでいただきたいと
ちょっとしたサプライズが用意されます。
「お静」は、現在は完全予約営業です。
これは本業の輸入業があるので、
お店中心とはいかないのかもしれませんが、
きっと平山さん流「おもてなし」の
準備をしたいのではないかと思います。
・・・・20歳の大学生の時に「お静」を手伝うために
調理師免許をとったお母さんの美智子さん・・・・
・・・・子供のころの平山さん。たらいの中には
モグラが入っていたらしい・・・・
平山さんがいかに地元の「向島」を愛しているかは
語られる人物の名前を聞いてもよくわかります。
向島出身者には、実に魅力的な方達がいらっしゃいます。
古くは100年ほど前の明治時代にアメリカのシアトルに渡って
写真家となったフランク・マツーラ(本名:松浦 栄)。
地元民の暮らしやネイティブアメリカンなどの写真を多く残し
人々に愛された写真家です。
そのマツーラの軌跡を追いかけてアメリカに取材に行った
写真家の栗原達男さんや、木の実ナナさんも同じ向島出身。
お店にいらしたことがあるようです。
・・・・お祖父さんもプレイした昭和24年(1949)誕生した
日本初の少年野球場「隅田公園少年野球場」・・・・
「お静」の道路を隔てた向こうにあるのが
日本で最初の少年野球場「隅田公園少年野球場」です。
墨田区出身の、世界のホームラン王・王貞治さんが
この球場から巣立って行ったことでも知られています。
王さんは、少年野球の育成に力を入れ
毎年、墨田区少年野球連盟による
「王貞治杯」が開催されています。
・・・・平山さんと王貞治さん、息子の亮さんも一緒です・・・・
墨田区は少年野球が盛んな地でもあり、
平山さんも、そしてお祖父さんもこの球場でプレイしました。
「お静」には、古い小さな少年用のバットが飾ってあります。
多分お祖父さんが使っていたのだと思いますが
バットには、日本人初の大リーガー、
村上雅則(マッシー・ムラカミ)さんのサインや、
蕪木正夫さんのサインがあります。
蕪木さんは王貞治さんと早稲田実業高校時代に
バッテリーを組んでいた方です。
色んな思い出を込めたバットとなりました。
・・・・平山さんと村上雅則(マッシー・ムラカミ)さんとのツーショット・・・・
・・・・お祖父さんが持っていた鋳物の“ベーゴマ”
王、長嶋、国松、杉下など巨人軍のそうそうたる
名選手の名が刻まれています・・・・
・・・・お祖父さんが子供時代に使ったと思われるバットに
お宝のサインがあります・・・・
平山さんは、江戸や明治、そしてお祖父さんの代から
ずっとつながっている人情味ある向島の暮らしを、
自分もつないでいきたいと思っています。
この続きは次回お話します。
【文・写真:成田典子】