魯山店主・大嶌文彦と作家たち/ガラス作家:小澄正雄
投稿日: 2013/10/02
西荻窪の『魯山』は「和のテイスト」の食器屋です。
たまに、アンティークの洋皿もありますが
染め付けのように「和のテイスト」を感じるものです。
しかも食器といってもほとんどが陶磁器。
ガラスはほとんどありません。
店主の大嶌文彦さん曰く「日本は焼き物大国なので、
ビジネス的にみても焼き物が売れる。
ガラスの需要は少ない」ということもありますが、
ガラス作家というと「洋ガラス」が多く
和のテイストの『魯山』とはあわないというのも
大きな理由です。
・・・「内田好美 小澄正雄 展」2013年7月27日〜8月4日開催・・・
これは「洋ガラス」でないと高く売れないという
日本のマーケットにも原因があるようです。
ガラス作家は、北欧ガラス、ベネチアンガラス、
カットガラスなど洋ガラスを目指すのが主流。
これまで何人かのガラス作家が
『魯山』を訪ねましたが
「展示会」というまでには至りませんでした。
ところが、大嶌さんが一目見て気に入った
ガラス作家がいます。
小澄正雄さんです。
「ガラス作家と話しても“振れ幅”が違う。
自分は日本の食卓にあうものが欲しかった。
そんなものはないと思っていた時に小澄に出会った」
大嶌さんは、作家と初めて会うときは
「脳みそと向き合う」といいます。
作品の善し悪しは二の次で
「こういうものを作りたい」という意識が
はっきりしていることが大事。
「大嶌がそういうからやってみようかな…では
作家に近づけない」のだと。
小澄さんと話し、大嶌さんはすぐに
「洋ガラスの脳みそとは違う」と感じました。
そして「和ガラス」と命名。
出会って半年で展示会の運びとなりました。
初めての展示会ということもあり、
陶芸家の内田好美さんとの二人展です。
・・・・大嶌さんは「好美は魅力的でわけの分からないものを
作る子だ」といいます(右が内田好美さんの作品)・・・・
・・・・小澄さんの和ガラスの瓶は、日本酒を入れるのにもちょうどいいなあと・・・・
大嶌さんが「和ガラス」と命名した
小澄さんのガラスの良さは
なんといっても「和食器にあうこと」です。
日本の食卓は「しつらえ」を大切にするので
「バカラ」ではだめなのだと、大嶌さんは力説。
今まで日本酒にガラスは合わないと
思われていましたが、
和食器に合うガラスだったら「売れる」
小澄さんのガラスだったら「いける」
そう判断したのです。
小澄さんのガラスは鉄分を含んでいるため
少し緑がかっているのが特徴です。
これは、ガラス作家にとっては「常識破り」
ともいえる「大きな賭け」。
ガラス好きは、クリスタルガラスのような
透明度の高いガラスを好む人が多いため、
すべての作品を純度の低い
「くすんだガラス」にしてしまうのは
とても勇気がいることです。
大嶌さんが出会ったことのないガラス作家でした。
不純物の入った小澄さんのガラスは、
懐かしいガラスの趣をもちながら
手にとると、実に薄く軽いのに驚きます。
とても繊細で洗練されているのです。
懐かしいだけのガラスではないのです。
小澄さんは最初からこのようなガラスを
制作していたのではありませんでした。
1979年生まれ。熊本県出身の小澄さんは、
富山ガラス造形研究所で学び、
その後東京の工房などで働き
現在は富山に工房を持ち制作しています。
受賞歴も多くあります。
当初は、西洋ガラスを作るのを当たり前と思い
ベネチアンチックなガラスや
北欧ガラスのようなモダンなガラスを
制作していたといいます。
ところが、あることをきっかけに
10年くらいやってきたものが崩れてしまいました。
2〜3年前にやっと自分のもの作りの方向を見つけ
納得できるものができました。
けど誰にも「いい」とは言ってもらえない…
しかし、小澄さんはいいます。
「もう元には、戻れないのです」
小澄さんは、自分の作品を見てもらい、
意見を言ってくれる人を探していました。
大嶌さんを知り、アポ無しで『魯山』を訪ねました。
なかなか言い出せない小澄さんは
初めはお客さんとして店の商品を買い、
その勢いで自分の作品を見てもらったのです。
「僕は人からツカミに入る。
グラスを見た時にショックを受け、
この人間とは付き合おうと思った」
大嶌さんは、小澄さんが持参した
“しのぎ”のグラスを見て
これは型吹きガラスだとすぐ分かりました。
「こいつ、フツーではないな」
「なにか、凄いものにバーンと当たっていないと
こんな作品にはならない」
大嶌さんの疑問は、あとで小澄さんから
大きな転機となった「古唐津」の話し聞き、
腑に落ちたといいます。
「僕は小澄の脳みそを捕まえているつもり。
こういう子はなかなかいない。
小澄は自分の腹をくくっているから
僕が何を言ってもストンと入ってくる。
彼とは、遠くにいても気持ちが通じる。
僕はそういう人間と仕事がしたい」
雄弁な大嶌さんとは対称的に
自分のことを話すのが苦手な小澄さんですが
もの作りの概念が大きく崩れた理由を
語ってくれました。
小澄さんは以前、誰でも1〜2年で
それなりに作れる「陶芸」を
軽く見ていたといいます。
その点ガラスは作るのが大変で、
誰でも簡単に作家にはなれない。
そういう「上から目線」の時期が10年ほど続いた時に
「古唐津」の焼き物に出会い
とてもショックを受けたのです。
「“美しい”というものと、自分が目指し
“技術を磨いてきたこと”とは別のものだ
ということに気がついたんです」
・・・・飲み干さないと下に置けない「べく杯」・・・・
それからというもの、自分のもの作りが見えなくなり
ガラスもやめようかと思いました。
一旦思考がフラットになった時に、
自分と向き合い、自分ができることから
積み上げていくことにしました。
鉄分の含んだガラスを使用したのも
このほうが、自分の「身の丈」に
あっていると思ったからです。
大嶌さんは「小澄はガラスに“しのぎ”を入れることで
脳みそが“和”になったと思う。
要素の引っ張り方が違う」といいます。
そのスイッチの切り替えをいち早くキャッチした大嶌さんは
小澄さんのガラスを「和ガラス」と名付け
きっちりと方向を示して、
独自の分野に据えたのではないでしょうか。
「小澄は自分の腑に落ちないモノは提案してこない。
納得したものを持ってくる。
若いけど、モノがちゃんと見えている。
モノを見ていないと、いいモノは作れない。
ちゃんと見えているから、
僕は彼をダメにするわけにはいかない。
魯山の魅力は、
小澄という作家の魅力でもあるんですよ」
大嶌さんは、作り手としっかり向き合い
真剣に売ろうとします。
作家と一緒に仕事をして、一緒に育っていきたい。
そして「一緒に儲けたい」のです。
【文・写真:成田典子】