「美しい本」をつくる文化のこと。
投稿日: 2016/06/15
デジタル化が進んだ情報化社会の中では
「本」の役割も変わってきているようです。
情報を求める役割は、
週刊誌やファッション誌に代わり、
インターネットが担うようになりました。
センスのいいWebマガジンを
無料で購読することもできるし、
電子書籍や電子辞書も便利なツールです。
しかし、情報のデジタル化と
バランスをとるかのように
手仕事やアナログ志向も高まり、
「プロダクトとしての本の価値」が
再認識されてきているのに気がつきます。
・・・手間を惜しまない手業(てわざ)の技術で
注文が絶えないという製本の「博勝堂」・・・
若者に、“活字”を組み合わせた
活版印刷が人気になっているし、
製本にこだわるデザイナーや編集者が
増えてきたようで、本屋さんには
「糸かがり」「折本」「布張り」など 、
手業(てわざ)のある書籍が目立つようになりました。
“装幀買い”される人気ブックデザイナーもいます。
『つなぐ通信』Vol.14は
「本の文化」をキーワードに特集を組みました。
そこで見えてきたのは、
機械化や大量生産の時代に、必ずといいっていいほど
警鐘を鳴らし輝いてくるのが、
「手仕事」や「工芸」の復活ということです。
出版も例外ではありません。
ドイツの小さな出版社 シュタイデル社の
ドキュメンタリー映画 『世界一美しい本を作る男』が
2013年に日本で公開され、話題を呼びました。
世界の名だたるアーティストや作家から依頼があり、
数年先までプロジェクトの予定が決まっているといいます。
経営者のゲルハルト・シュタイデルは、
自ら世界各地のアーティストのアトリエに足を運び
綿密な打ち合わせをします。
使用する紙、インクの選定はもとより
手触り、重さ、匂いまでに徹底して技術と情熱を注ぎ、
デザインから製本まで全て自社で行うという
完璧主義を貫き、「作品としての本」をつくるのです。
この「世界一美しい本」には
世界中にコレクターやファンがいて
小さなシュタイデル社を支持しています。
徹底したこだわりの本づくりが、
ビジネスとしても成立するという
理想の姿を見せているのです。
・・・近代印刷技術の生みの親は、金属加工職人で
印刷業者だったドイツのヨハネス・グーテンベルク
(1398頃-1468)・・・
・・・世界最初の活版印刷機は
木製の「グーテンベルク印刷機」(複製)
※ミズノ・プリンティング・ミュージアム特別展示・・・
・・・1455年に印刷されたラテン語の旧約・新約聖書である
グーテンベルク「42行聖書」(1977復刻版)。子牛皮の表紙には
箔押しや飾り金具など、中世の職人の技の粋を集めた仕上げ。
※ミズノ・プリンティング・ミュージアム蔵・・・
・・・グーテンベルク「42行聖書」の原葉の1葉。
ミズノ・プリンティング・ミュージアム館長の最初のコレクション・・・
・・・西洋では18世紀末に、木版印刷を板目ではなく
木口(輪切りの断面)に彫る木版が創始された。
硬く耐久性が高く、緻密な図案が彫れるようになった・・・
・・・木口は板目より面積が狭いため、つなぎ合わせて
木版板を作ったものが多い・・・
19世紀後半、イギリスの産業革命の時代に、
手仕事の美しさを生活に取り戻そうと
「アーツ・アンド・クラフツ運動」の旗手として
活躍したウィリアム・モリス(1834-96)は、
その芸術運動の一環として「理想の書物」を作りたいと、
ロンドンに「ケルムスコット・プレス」という
プライベートな印刷所である
私家版(しかばん)印刷所を設立しました(1891-98)。
モリスの「理想の書物」は、
職人の手業と芸術性が融合された中世の写本装飾でした。
手漉きの紙を使用し、モリス自身が活字をデザインするなど、
本の内容から装幀、印刷、オーナメントの考案、製本まで
理想の書物のために、全てを作り上げたのです。
ケルムスコット・プレスが出版した書物のなかでも
詩人のジェフリー・チョーサー(1343頃-1400)の
「チョーサー著作集」(1896)は、
ケルムスコット版のなかでも最大の判型で、
モリス自身も力を入れた、代表作の一つです。
・・・ウィリアム・モリスが「チョーサー著作集」を
印刷したのと同じタイプの「アルビオンプレス」
※ミズノ・プリンティング・ミュージアム蔵・・・
・・・世界三大美書のひとつ「チョーサー著作集」
※ミズノ・プリンティング・ミュージアム蔵・・・・
その後、イギリスではモリスの影響を受けて
美本を作る運動がおこり、
私家版印刷所が次々に設立されました。
アシェンデン・プレスは「ダンテ著作集」(1909)を、
ダヴス・プレスでは「ダヴス聖書」全5巻(1903-1905)を製作。
「チョーサー著作集」も含め、
これらは「世界三大美書」と呼ばれ、
今回『つなぐ通信』で取材した
「ミズノ・プリンティング・ミュージアム」で
実物を見ることができます。
・・・・・・世界三大美書。上から「チョーサー著作集」
「ダンテ著作集」「ダヴス聖書」。
※ミズノ・プリンティング・ミュージアム蔵・・・・
モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動や
ケルムスコット・プレスに共感を寄せているのが
民藝運動を提唱した柳 宗悦(むねよし)(1889-1961)です。
柳は1929年ケルムスコットを訪れ、モリスに会っています。
1931年には、雑誌そのものを“工芸品”とすることを目指した
『工藝』(1931-1951)が創刊されます。
民藝運動の機関誌としての役割も担い、
のちに人間国宝となった染色工芸家の芹沢銈介や、
漆工芸作家の鈴木繁男、版画家の棟方志功や川上澄生などが
装幀や表紙を担当し、自ら制作しています。
創刊当時は500冊、徐々に部数が増え
1000冊以上を工芸家が“職人”のように制作したのです。
表紙のために葛布(くずふ)、安来織(やすぎおり)などで
オリジナルの織物が制作され、
「工藝」のタイトル文字を織り込んだ絣柄もあります。
本誌には手漉きの和紙が使用されました。
・・・創刊号では、柳 宗悦による「民藝とは何か」を
示している・・・
・・・漆工芸作家の鈴木繁男の装幀。和紙を染め、筆と型とで
漆を施すという全く新しい手法を、柳 宗悦は絶賛している・・・
・・・左は外村吉之介による葛布の表紙。右は藍染に
「工げい」と絣柄で織り込んだもの・・・
・・・96号は版画家の川上澄生の特集。
表紙も中の版画も手摺りの版画・・・
・・・118号は棟方志功の表紙。白黒版画をしたあとで
和紙の裏側に彩色する「裏彩色」が施されている。
この手法をアドバイスしたのは柳 宗悦・・・
・・・東京造形付属大学図書館が所蔵している『工藝』全120巻・・・
戦争による中断もありましたが、
20年間で120巻が発行されました。
雑誌として、手仕事でこれだけの部数を、
これだけ長く続けたのは、
後にも先にももうできないのではないかと
柳は語っています。
最後は、制作的にも金銭的にも続けるのが困難になり
本当に惜しまれての休刊となりました。
・・・119号では、継続刊行困難に苦しんでいることを
切実に訴えている。代金未納の方は至急ご納入ください。
会員の増加と会費の前納にご協力をお願いしている・・・
・・・最終号となった120号。編集後記を書いたのは
女優の荒木道子。編集者としても柳を支えてきた。
経済的や様々な困難な条件のためこれ以上続刊が
できないことへの無念さが伝わる・・・
ウィリアム・モリスは、モリスの時代の工芸が
中世に比べ、いかに見劣りがしているかを嘆き
「失われたる美を取り戻そう」としました。
それには“工芸”を“美術”に高めるしかないと考え
彼の周囲にいた美術家たちに依頼したといいます。
ラファエル前派のロセッティなどが関わるなど、
それはまさしく「美術家が試みた工芸品」でした。
のちに柳は、著書の『工芸文化』の中で
モリスの偉業を称えながらも
モリスの時代に著名な美術家が製作したものと、
中世の名もない工人が製作したものを見比べると
技術・美的価値からも見て、その美しさの差は、
名もない工人の方が圧倒的だと言っています。
モリスがプロデュースした意識的な作品には
人間の限界や、苦心惨憺(くしんさんたん)の
跡が見えるが、
中世のものには誤謬(ごびゅう:まちがい)がない。
何か誤謬の起こり得ない事情のもとで
易々(やすやす)とできたものに違いないと。
その差が“職人”が培ってきた“技(わざ)”
があるか無いかの違いなのでしょうか・・・
近年、作家が異常に高く評価されているのは、
個人の名前を重んずる近代史家の通習に
すぎないのではないかと、
柳の評価は手厳しいものがあります。
このような体験が、工人のものづくりを重んじる
『民藝運動』の考え方を一層確信したのかもしれません。
・・・ミズノ・プリンティング・ミュージアムの
水野雅生館長が手にしているのは、ジェフリー・チョーサーの
「カンタベリー物語」のエルズミア写本の
フルカラーファクシミリ版。現存する写本の中では
もっとも美しいとされるもので、世界の一流企業やクラフトマンにより
復刻版が実現。ミズノプリテック(株)は、印刷を担当した・・・
・・・紙は本来使われていた羊皮紙の質感にもっとも近い、
高品質で変色しない英国紙。印刷は最先端の高精細印刷で、
一般のルーペでは網点を見ることができないほどという・・・
・・・オーク材、背革装、手綴じなど、
15世紀初頭の製本技法を復元・・・
「美しい本」づくりへの憧れは、
中世のものづくりを原点に、脈々と現代に流れています。
そこには、職人の手業の技術と、美への飽くなき探求と
作り手の情熱があって成り立つものかもしれません。
「本の文化」は、国境を超えたロマンです。
デジタル化が進んだ現在、モリスや柳が目指したような
「美しい本」づくりのムーブメントが、形こそ違え
再び起きているような気がしてなりません。
・
・
・
【文:成田典子/写真:貝塚純一、大社優子、成田典子】
【協力:ミズノ・プリンティング・ミュージアム】