つなぐ通信:人や文化をつなぐカルチャーマガジン

諏訪の手長神社の話Vol.1

投稿日: 2015/12/15

『つなぐ通信』Vol.12冬号の取材で訪れたのは、
来年、7年に1度の「御柱際(おんばしらさい)」が
開催される長野県諏訪地方。
メディアの影響もあり、「御柱」というと
「巨木に乗って坂から曳き落とす“危険な祭り”」
というイメージが多いのですが、
(私たちもそう思っていました…)
諏訪を愛する方から、
もっと根本的なことを伝えて欲しいとの
お話があり、この企画が始まりました。
まずは、諏訪の神事や歴史をよく研究されている
「手長神社」の宮司さんにお会いするために
9月の後半、上諏訪を訪れました。

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・・・手長神社、足長神社、八劔(やつるぎ)神社など
14の神社を兼務する宮坂 清 宮司さん(撮影:貝塚カメラマン)・・・

上諏訪駅から甲州道(国道20号)を5〜6分歩くと
諏訪郵便局があり、左手に大きな石の鳥居が見えます。
これが“手長さま”と地元の方に親しまれている
「手長神社」の「一の鳥居」で、その先には
気の遠くなるような長い石段の参道が続いています。
(タクシーで上まで行くこともできます♪)
鳥居の手前には、江戸時代から続く「精進湯」という
かけ流し温泉公衆浴場(市営)があります。
かつてはここで身を清めてから
神社にお参りしたといいます。

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・・・こちらは木の鳥居です・・・

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・・・9月末は紅葉がはじまりかけていました・・・

階段を上がっていくと車道に出て、
目の前にこんもりとした緑広がる
「手長の杜」があらわれます!

ここにも木の鳥居と手水舎があり、さらに石段は続き、
古木や巨木が見守る境内へと吸い込まれていくのです。
手長神社の石段は全部で243 段。
茶臼山(ちゃうすやま)の中腹にある「手長神社」は、
まさに“鎮守の杜”。
真向かいには聖なる山とされる守屋山がそびえ、
諏訪湖も眺望できる、見事なポジションです。
訪れた9月末〜10月後半は美しい紅葉が迎えてくれました。

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・・・243 段の石段を登り終えると
見事な拝殿があらわれます・・・

お会いした宮坂 清宮司さんは、
神道や歴史研究者としても
知られている方で、お話し上手。
「手長神社にはニホンカモシカが出るんですよ。
牛か熊かと思いましたよ(笑)
茶臼山から降りてきたと思うのですが、
僕はすぐ写真に撮って、
社報の『てながの杜』に載せました。
タイトルは“珍客参拝”(笑)」

『てながの杜』は宮坂宮司さんが、
原稿、写真、編集、デザイン、すべてご自分で
手がけているもので、常にカメラを持ち歩いています。
境内の木々の変化、“珍客”も逃さずパチリ!
手長神社の社報は本当に面白く、
歴史好きにはたまりません。
そして神社と地域の関わりとは何かを教えてくれます。

てながの杜
・・・これが噂の“氏子総代バンド”・・・

『つなぐ通信』冬号では、手長神社の「神にぎわい」で、
おひねりが飛んで大喝采だった、氏子総代さんたちの
「親父バンド」のことを書きましたが、
それがこれ!原点は天岩戸の話です。

「手長の杜の神にぎわい。それは神々の笑いが、
太陽の神を誘った、底抜けに明るい我が民族の写し絵そのもの。
いつの時代も笑顔こそがこの世を明るくする最高の花」
宮坂宮司さんの文章もサイコーです!

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・・・ただいま撮影中・・・

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・・・宮坂宮司さんもパチリ!・・・

『つなぐ通信』の撮影時には、諏訪木遣保存会の
みなさんが来て、木遣りを鳴いてくれました。
木遣り名人、竹森笑子さんのかん高く、
強く透き通る声が神聖な手長の杜に響き渡ります。
美しい映像と一緒に心の隅々にも響き渡り、
魂が震える思いです。
貝塚カメラマンが、木遣りのみなさんを
たくさん撮ってくれましたが、
紙面の都合上1枚しか使用できませんでしたので
もう少しご紹介します!

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・・・おんべを高くあげて木遣りを鳴きます・・・

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・・・木遣り名人の竹森笑子さん・・・

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・・・木遣り保存会副会長の保科英明さん・・・

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・・・諏訪子湖に向かい鳴く宮坂政次さん・・・

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・・・(上5点撮影:貝塚カメラマン)・・・

巨木が多い手長神社は
パワースポットとしても有名らしく
樹齢500年という「延命の杉」があります。
梢を仰いで、三度深く息をすれば、
長生きできるといわれています。

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・・・延命杉(今度は梢も撮影しよう!!)・・・

宮坂宮司さんが、特別に見せてくれたのが
普段はなかなか見られない場所の拝殿の建築彫刻です。
手長神社の拝殿は、
江戸の名匠 立川流の初代立川和四郎冨棟の作(1788年)。
火災に遭い修復されましたが
龍や獅子の一部などは残ったようです。
年輪や木目・節を見極めて自然のままを生かす技法は
和四郎ならではのもので、立川流の特徴になっています。

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火災のため黒くなっている部分の彫刻が凄みを見せる・・・

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・・・下からしか見えない、木目や節を計算した立川流の彫り・・・

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・・・『つなぐ通信』冬号の表紙を飾った和四郎作の龍・・・

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・・・一見、渦巻きのような貝の彫刻(下段の部分)・・・

宮坂宮司さんのお気に入りが、
拝殿の右奥に正面の華やかな彫刻とは対象的に
ひっそりと彫られているホラ貝、サザエ、アワビなどの貝類。
これが貝とはなかなか気が付きません。
海のない諏訪に、どうしてこのようなものを彫ったのか・・・
宮坂宮司さんの謎解きは続くようです。

もう一つ手長神社で注目してほしいのが「かじの葉」です。
諏訪大社のご神紋でもある「かじの葉」の話は、
次回お話します。

諏訪市観光案内図
http://www.suwa-tourism.jp/catalog/docs/07suwakanko_map.pdf

信州 諏訪観光ナビ
http://www.suwa-tourism.jp/


【文・写真:成田典子】

カテゴリ:取材秘話・裏話の投稿 | コメント(0)

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