【東京松屋】「江戸からかみ」の話
投稿日: 2015/03/16
『つなぐ通信』Vol.9春号は、
東京のものづくりを特集しました。
「東京松屋」さんは、江戸の元禄3年(1690)から続く
「江戸からかみ」の版元です。
・・・東京松屋18代目の松屋利兵衛氏
(撮影:貝塚純一カメラマン)・・・
「からかみ」とは、
襖(ふすま)や屏風(びょうぶ)などに使用される
手漉き和紙に美しい装飾を施した装飾和紙のことで
工芸品として位置づけられています。
和紙(日本の手漉き和紙技術)が
ユネスコの無形文化遺産になり、
新たに和紙への関心も高まっていますが、
「からかみ」のことを知らない方も多くいらっしゃいます。
『つなぐ通信』の誌面だけでは伝えきれなかった
「江戸からかみ」のことをお伝えします。
東京松屋さんのある稲荷町界隈は、
通称「浅草仏壇通り」と呼ばれ、
浅草通りをはさみ、仏壇に陽が当たり漆器が
痛まないようにと、
陽の当たらない北向きに仏壇や仏具店が軒を連ねます。
江戸時代の明暦3年(1657)の大火の後、
幕府により江戸の中心地にあった寺院群が移転して、
田原町駅から稲荷町駅、上野駅までの一角に新しい寺町を形成し、
仏具を作る職人や寺に和紙を納める商人が集まりました。
・・・左の日陰側に仏壇・仏具店が軒を並べる。右側手前が東京松屋の建物・・・
東京松屋さんは地本問屋(じほんとんや)(※大衆本の問屋)
として創業し、その後和紙問屋となりました。
幕末から明治にかけては、経師屋(きょうじや)や
表具師(ひょうぐし)が使う紙類を中心に、
襖紙、障子紙、掛け軸の表装用の金襴(きんらん)などの
裂地(きれじ)、引手(ひきて)、錺(かざ)り金物の
専門店として、また「江戸からかみ」の版元として栄えました。
・・・1860年代の東京松屋の営業品目の引き札(広告ちらし)・・・
・・・明治22年(1889)の東京紙商の番付表。東京松屋の名が左上にある・・・
「からかみ」は「唐紙」と書きます。
その字のごとく中国から伝来したもので、
模様のある「紋唐紙」を手本とし、
平安時代にはすでに国産化されていたといいます。
書道などで用いる「唐紙(とうし)」と区別するために、
襖業界などでは「からかみ」と、
多くはひらがな表記されています。
「からかみ」のルーツは2つあります。
ひとつは「国宝平家納教」に代表されるもので、
金銀箔砂子(きんぎんはくすなご)の技法で装飾した、
仏教の「装飾教典」です。
もうひとつは、和歌などを書いた紙(料紙:りょうし)を
木版などの技法で装飾する「装飾料紙」の世界です。
これらが後に襖や屏風、壁面や天井面の
室内空間を豊かに彩る「襖からかみ」へと
発展していくのです。
・・・料紙装飾の最高峰とされる「国宝本願寺三十六人家集」を
複製したもの。料紙にしたためられた平安貴族の雅な世界が
香ってくる・・・
京都から発生し、千年余りの歴史をもつ「からかみ」は、
江戸でさらに発達しました。
江戸幕府開設後、江戸城や諸大名の屋敷をはじめ、
町人の住居などで「からかみ」の需要が拡大。
のちに「江戸からかみ」と呼ばれ、加飾技法や柄行きも
「京からかみ」とは違う多彩な展開をしていきました。
「江戸からかみ」の加飾技法は専門職化し、
互いに技を競い協力し、たくさんの文様が生まれ
江戸の家々を美しく飾ったのです。
加飾技法は次ぎの3つに大別できます。
(1)「唐紙師(からかみし)」が和紙に
版木の文様を写しとる「木版手摺り」。
「からかみ」の代表的な技法で、
版木に「雲母(きら)」や「胡粉(ごふん)」などの
絵の具をつけて和紙をのせ、
手のひらで模様を写し取ります。
・・・江戸時代の版木。バレンなどを使わず手のひらで
模様を写し取るため、一般の版画用版木よりも深く彫っている・・・
・・・公家風の文様が多い「京からかみ」に対し、
「江戸からかみ」の柄は、蔦、萩、百花、縞など
絵型が大きくおおらかになっていくのが特徴・・・
・・・「胡粉(ごふん)」を用いた木版手摺。
胡粉は、ハマグリ、カキなどの貝殻から作られる顔料・・・
・・・「雲母(きら)」を引いた手揉み紙や、地模様に用いた襖。
「きら」は、雲母(うんも)を粉末にしたもので、
独特の光沢と白さがあり、上品に光を反射させる・・・
・・・江戸時代の版木を用いた襖。
当時の版木は小さく小判の紙12枚で1枚の襖となるため、
かなり技術を要する・・・
(2)「更紗師(さらさし)」が模様をくり抜いて
伊勢型紙(柿渋を塗った渋紙)を使って
刷毛で絵の具を摺り込む「型摺り」。
火事の多かった江戸で、持って逃げられる
薄く丈夫な型紙として独自に開発された。
・・・絵の具を摺り込むため、厚く盛った立体的な柄ができる・・・
(3)「砂子師(すなごし)」が金銀箔を押したり
砂竹筒に箔を入れて散らす「砂子蒔き」。
偶然の生み出す美を計算しながら華やかな効果を生み出す。
「木版手摺り」や「型摺り」のあとに砂子蒔きをするなど、
3つの技法は様々な組み合わせが行われる。
・・・砂子師の秋田秀男さん。襖には発色がよく
吸水性の高い越前和紙が最適とされる・・・
・・・網を張った竹筒に金銀箔を入れてしごきながら
すばやく砂子蒔きをする。技術は難しくないが、
表現は奥が深く難しいという・・・
・・・金銀箔を押したり砂子を蒔いた屏風。
「からかみ」の屏風はちょうつがいがなく、
和紙でつながっている・・・
「江戸からかみ」は、江戸時代から何度も火事にあったり
関東大震災や東京空襲で多くの版木が焼けて
摺ることができなくなってしまいました。
そのため版元が「江戸からかみ」部門から手を引くなど
ほとんどの版元が生産を中止してしまったのです。
また、戦後は、安い大量生産の襖紙が求められたため
手漉き和紙に手摺りの装飾を施した「江戸からかみ」が
制作されなくなり、約40年間途絶えた時期がありました。
・・・愛知の蔵に預けていたため震災や戦火を逃れた
江戸時代の版木。その後東京の資料館に寄贈され
埃をかぶっていた約250枚を発見した・・・
それを復活させたのが、東京松屋の18代目の
松屋利兵衛氏でした。
偶然にも、江戸時代の版木や戦後彫り直されていた版木が
たくさん発見され、利兵衛氏は唐紙師さんと力を合わせ
1枚ずつ摺り、念願の見本帖を平成4年(1992)に完成させました。
11軒の職人衆と「江戸からかみ協同組合」を発足させ、
「江戸からかみ」の文化をつないだのです。
この話は『つなぐ通信』Vol.9でぜひご覧ください。
・・・昭和54年(1979)に構想し、平成4年(1992)に
完成した見本帖『「彩」いろどり』・・・
この見本帖は、伝統工芸和紙・伝統工芸襖地の
集大成見本帖として、14年の歳月をかけ編集されました。
あとがきには
「このささやかな第一期の本集を、
千数百年にわたり日本の美しい和紙の制作に従事された、
あまたの職人衆に、捧げます。
そして、多くの若い人々の力により、
明日に向かって和紙の美しいせせらぎが、
より美しく豊かに展らかれますことを、
心から希っています。
平成四年四月十二日 伴 充弘」
と、美しい言葉で綴られていました。
・・・利兵衛氏の娘婿である建築家の
河野有悟氏によって設計された社屋。
5階〜12階は賃貸マンション。
全部屋に障子を入れ、壁には和紙を貼っている。
襖のある部屋もあり、破れたら貼り替えをして
くれるのだという・・・
・・・ショールームの壁や天井には
和紙が貼られている。ビニールクロスとは違い、
和紙は木の皮の繊維なので呼吸をしている。
湿気のある時は水分を吸収し、乾燥している時は
水分を出すとってもエコな素材だという・・・
・・・吹き抜け部分の柱にも和紙が貼られている。
美しくエコな素材で、住む人にとっても理にかなった
和紙の良さをもっとたくさんの方に
知っていただきたいと話される商品企画室の
河野綾子さん。18代目利兵衛氏の実娘・・・
・・・障子紙の最高峰とされる本美濃紙に雲母摺りで
青海波を施したもの。光を通すと実に美しい。
2015年5月に開催されるミラノ万博の日本館で使用される
(撮影:貝塚純一カメラマン)・・・
18代目利兵衛氏が30年の年月を費やして復活させた
「江戸からかみ」は、海外からも注目されはじめ、
現代の生活空間にもモダンな室内装飾として
そしてエコな室内装飾素材として
提案され始めています。
かつて襖や屏風、壁面や天井面の和室空間を
豊かに彩ってきたように、
月明かりや薄明かりで淡く光る
「江戸からかみ」の生活文化が見直される日も
そう遠くはないような気がします。
【文・写真:成田典子】