日本のモノづくり文化を未来につなぐ「エニシング」の使命
投稿日: 2016/03/15
(有)エニシング代表の西村和弘さんから
「はじめまして」のメールがあったのは2014年の夏。
『つなぐ通信』春号で取材した埼玉県羽生の
「小島染織工業」の誌面を見て、
「つなぐ通信」に興味を持ったようです。
豊橋の織物工場で昔ながらの
分厚い1号帆前掛け(ほまえかけ)の生地を復活させた
エニシングの話はとても興味があり、
何よりも西村さんの熱い人柄にも惹かれました。
それから2年の月日が経ち、
ようやく2016年春号で取材が実現しました。
2年の月日は、エニシングの取り組みを
さらに進化させていたのでした。
・・・右/西村和弘さんと左/芳賀正人さん(撮影:貝塚カメラマン)・・・
前掛けの織布工場を苦労して探し、
2006年、豊橋にたどり着いた西村さんは、
「芳賀織布工場」代表の芳賀正人さんと出会いました。
その時に、すでに前掛け業界から消えていた
「1号帆前掛け」をなんとか復活させたいという
強い思いが起こり、
5年の歳月を経て芳賀さんを説得。
はじめは、本気にしていなかった芳賀さんですが、
西村さんの熱意に打たれ、
また西村さんの父親と自分は同い年、
西村さんは息子と同い年という不思議がご縁にも
運命を感じ、心が動きました。
織機を調整し、何度も試織を重ね、
厚くて柔らかい1号帆前掛けを復活させ
2011年に販売する運びとなったのです。
・・・工場では8台の織機が起動している。
止まっている機械は「部品調達用」として使用。
部品も機械も今は製造されていない・・・
・・・現代の織機のほとんどは、生産性の高い
高速織機で織られているが、芳賀織布工場の織機は
大正や昭和のシャトル織機。
シャトル織機はスピードが遅く生産性は低いが、
その分糸に余計な負担がかからないため
柔らかくふっくらとした風合いとなる・・・
豊橋の熟練職人さんたちと出会った事で
西村さんのビジネスへの意識は
大きく変わってきました。
“糸”から作るモノづくりの現場に
どんどん興味が湧いてきたのです。
今までは出来上がった製品にプリントして
右から左へと流すだけのビジネスでした。
しかし、豊橋の前掛けづくりは、
糸のことを知り、織りや藍染のことを学び、
縫製して、販売するという、
本質的なモノづくりのビジネスなのです。
・・・帆前掛けの生地は、一見帆布(キャンバス地)に
似ているが、キャンバスのようなゴワゴワ感はなく、
前掛けとして体に馴染んで締めやすいように、
「厚みがあるのに柔らかい」のが特徴。
特に1号帆前掛けのように、厚みのあるものは
芳賀さんは当たり前のように織っているが、
糸が切れたりするので織るのは難しい。長年の経験と勘で、
機械の調整や改造などをしながら織るのだという・・・
・・・2号帆前掛けと1号帆前掛けのよこ糸を抜いたもの。
1号帆前掛けは糸も太い。柔らかい織りに仕上げるために
よこ糸はニット糸のように甘撚り(弱い撚り)の糸を
2本引き揃えで使っている・・・
織りや染めの仕事の現場を見せてもらい、
職人さんから話を聞き、
モノづくりのことを知れば知るほど、
どんどん面白くなりました。
「昔ながらの技術を利用すると
こんなものができるのか!」と、
イメージが膨らんできます。
出会う人も、向こうから寄ってくる人たちも
大きく変わってきました。
日本の繊維産業の産地では、
「安価な中国や海外へ生産流入」
「高齢化」「後継者不足」などで廃業が続き、
もはや“産地”とは呼べない状況が起きています。
かつては、1日1万枚出荷されていた時代もあったという、
前掛け産地の豊橋も、廃業が相次ぎ、
技術を引き継いでいく人は
ほとんどいなくなってしまいました。
芳賀さんは、その貴重な一人でしたが
後継者はいません。
・・・たて糸整経を行っている。「クリール」という
糸巻きをたくさん並べた器具から、たて糸の数だけ
必要な長さを「ビーム」という太い糸巻きに巻き取っていく・・・
・・・クリールは竹で補給された手作りのもの。
歴史を感じ、いい味を出している・・・
・・・“電話帳”が置いていたのでなにかな?と思ったら
途中で止めておくこんな工夫のために使用。職人は“工夫”大切。
こういう意外な工夫は工場ではよく見られる光景・・・
・・・紡績糸を扱っている工場では、“綿ぼこり”が
美しいオブジェのようにあちこちに!・・・
・・・職人見習いの前川さん。
整経のための準備を行っている・・・
「まだ、歴史と技術を知っている
職人さんたちが残っているうちに
技術を受け継がないと、日本の前掛け作りの
素晴らしい文化がなくなってしまう」
そういう危機感が、西村さんの中で
“使命感”となって湧き起こりました。
「これはエニシングがやるべきではないか」
芳賀さんや豊橋の職人さんたちとも話し合い
腹が決まりました。
芳賀織布工場にエニシングから
若い職人見習いを派遣することにしたのです。
後継者のいない織物工場に、
販売メーカーが職人見習いを派遣して
後継者育成するというのは画期的です。
ゆくゆくはエニシングの製造部門として
いくことも視野に入れています。
・・・研修中のエニシングの職人さん。
左から福田和真(かずま)さん、前川圭子さん、
影山幸範さん(撮影:貝塚カメラマン)・・・
2013年に職人第一号の
福田和真(かずま)さんが入社。
2015年からは影山幸範さん、前川圭子さんが加わり
3人が豊橋工場で芳賀さんの指導を受けながら
頑張っています。
芳賀織布工場は、ほとんどが昭和のシャトル織機のため
これを調整したり、改造したりしながら
長く使う工夫をしてきました。
実はこのメンテナンス技術を覚えるのが
織物では一番難しいのです。
・・・豊田佐吉によって発明された「豊田自動織機」が
2台現役で活躍・・・
・・・鈴木式織機も現役で活躍。豊田織機は「豊田自動車」の
前身。鈴木式織機はオートバイの「スズキ」。
車のメーカーは元は織機メーカーだった・・・
芳賀さんは長年の経験と勘で
織機の調整を行なったり
前掛けにぴったりな糸の紡績のノウハウも持っていて
1号帆前掛けも“当たり前”のように織ってきましたが
新人職人さんにはそうはいきません。
織機はどんどん古くなる一方なので
これからは自分たちなりのノウハウを
覚えていかなければなりません。
大変ではありますが
「世界で誰もやっていない」ことに関われることが
モノづくりのモチベーションが上がるといいます。
自分たちがしているのは流れ作業のような
「歯車のひとつの製造」ではなく
「創造しながらの製造」であるからです。
・・・工場では織機も器具も調整や改造しながら
長く使われてきた。これからも続く・・・
西村さんにも次の目標があります。
本来「帆前掛け」は、「ガラ紡(ガラ紡機)」という
日本独自の紡績機で紡いだ糸を使っていました。
「ガラ紡」は、ゆっくりと糸を紡ぐために、
手紡ぎに近いような、節や凹凸感がある、
甘い撚りの糸になるのが特徴です。
また繊維の短い“くずわた”を使用できる
メリットもあります。
これがふっくらと柔らかい風合いが求められる
帆前掛けにはぴったりなのです。
かつては愛知県の三河地方がガラ紡産地でしたが
現在は数件残っているのみ。
安価でできたガラ紡も今では逆に
金額が高くついてしまうことにもなっています。
これをカンボジアで復活させることが
できないものかと、芳賀さんや豊橋の職人さんたちと
検討しはじめました。
・・・ガラ紡で織られた両面染めの1号帆前掛け。
今では大変珍しい(撮影:貝塚カメラマン)
・・・節や凹凸感があるガラ紡の糸。
ふんわりしていて、とても柔らかい・・・
・・・カンボジアにガラ紡の機械を送り、
ガラ紡を生産していくという計画が進められている・・・
一時は廃業し「引退」を考えていた芳賀さんですが
西村さんとの出会いにより、
新たな目標が見えたようです。
「流通が変わったわけですよ。
しかし私らには世の中が変わったことが
わからんかったわけですよ。
西村くんに教えてもらい少しわかるようになった。
新しいことは西村くんが教えてくれる。
私は歴史などの古いことや“過去の知恵”を教える。
いい関係ですね」
帆前掛けの織り技術は
現在60代・70代の熟練職人が、
若手職人や海外に技術をつないでいく役割を担い、
西村さんのような若手経営者が
時代にマッチした商品開発と売り方で
世界にまで需要を伸ばしていくという
それぞれの役割を生かした方法で
動き始めました。
こういう豊橋の新しい取り組みが
後継者問題や、売り方問題で悩んでいる
日本のモノづくりのこれからのモデルケースの
ひとつとなるような気がします。
・・・武蔵小金井にあるエニシングの本社。
1階がショールームになっている・・・
・・・従来の藍染の帆前掛けのほか
生成り、カラシ、朱、カーキ、ねずみなどの色物、
ショートサイズ、子供用などもある。
絵柄のバリエーションもあり、オーダーも出来る・・・
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【文・写真:成田典子】