つなぐ通信 Vol.18
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creation再生 循環Hachiojiイイダ傘店のイイダヨシヒサさんが、タテ糸に捺染して、絣のような柄を織り上げる「ほぐし織り」の傘を持ってきてくれた。中野上町にあるほぐし織りの捺染工場を紹介してくれたのは父・正美さんだった。この日は奥田さんと一緒に久しぶりに自社ブランドのロゴを刷った。イイダ傘店の「ほぐし織り」の傘のタテ糸捺染をしていた「小林型染」。2年前に小林さんが亡くなり工場は閉鎖されたが、貴重な道具と技術は富士吉田のほぐし織りの機屋に受け継がれた。株式会社奥田染工場〒192-0041東京都八王子市中野上町1-12-14Tel.042-622-2594http://www.okudaprint.com/木工クリエーターが光を当てた「再生」の地域ブランド化海外生産は日本の技術を低下させ、「ものづくりの思想」までも失わせてしまうと危惧し、同業者にも染めの技術を惜しみなく教え、「奥田塾」を開き、学生や染色家、テキスタイルデザイナーなどに技術を伝授しました。現場を知り職人と一緒に心を通わせてこそ、本当の創造ができると、デザイナーが工場に来ることを歓迎。現在も『ミントデザインズ』『matohu』『JUBILEEシミズダニヤスノブ』『proto(egg)product project』など、人気ブランドとコラボする染め工場として知られています。 また、若手デザイナーの面倒も見ていました。その中には『ミナ ペルホネン』の皆川 明さん、『イイダ傘店』のイイダヨシヒサさんもいました。「僕がここにきた頃は、趣味程度に傘を作っていた時で、お金もありませんでしたが、先代は『勝手にやればいいよ』と言ってくれたので、自分で生地を染めて持ち帰り傘を作っていました。ここにはそうやって自由に制作させてもらっている若いクリエーターが集まっていました」 こういう父の姿を見ながら奥田さんも染めを学び、気が付いたら父と同じ道を歩いていました。産地や人のために動き回り、学校の講師をし、「奥田塾」も引き継ぎました。そして一番大きな「人という財産」を引き継いだのです。 今の時代は、他とは違う差別化のあるものづくりが求められています。クリエーションを大切にし、大量生産のものづくりに走らなかった父・正美さんのおかげで、奥田染工場は自由な発想のものづくりができる環境にありました。奥田さんは、日本のものづくりの技術や精神をリスペクトしながらも、自分の工場も含め、時代に合わせたものづくりをどう再構築していくかを常に考えていました。 特に危惧しているのが、産地の工場や、ものづくりを支えている〝下職さん〞の賃金の安さでした。生産現場の川上にいくほど賃金が安くなる業界の〝慣習〞もあり、小さな工場は経営の悪化や後継者不足が深刻で、八王子でも閉鎖する工場が相次ぎ、有名なノコギリ屋根の工場も、貴重な資料のある施設も次々に取り壊されていきました。「なくしたらもう手遅れなのに」と悶々としながらも、これぞという解決法が見つかりませんでした。 しかし、2〜3年ほど前から中野上町に新しい風が吹き始めました。準工業地域の地の利を求め、空き家や空き工場をカッコよくリノベーションして活動する木工クリエーターが集まり出してしたしょく07TSU NA GU TSUSHIN

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