つなぐ通信 vol.05 2014春号
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08TSU NA GU TSUSHIN 名だけど、実は僕やくろすとしゆきさんなどの仲間が一番早かった。50年代半ば頃は、まだ若い人向けのファッションはなく、学校を卒業するとみんなお父さんと同じ背広姿になるしかない。そんな時にアメリカのファッション誌を見て〝これだ!〞と飛びついたのがアイビールックだった。学生など若い人から発生していたのが実に新鮮だったね。石津さんは僕達のスタイルを見て〝これはイケそうだ!〞と目をつけたんですね(笑)」 当時アメリカではハーバード大学などアイビーリーグと呼ばれる名門8大学出身のエリートのスタイルが一般にも流行していました。穂積さんたちがアイビーをはじめた頃は既製服などないの着こなしのルールがカッコいい男は「公私」をわきまえるべし体型は若いときからずっと変わらない。洋服は今でもよく買う。「山のようにあるんですけどね(笑)」と、奥様。お互い洋服のことは口出ししないが相談にはのるという。左/『江戸の町(上)』(草思社)、 『大人の男こそ、オシャレが似合う』(草思社)、『自動車のイラストレーション』(ダヴィッド社)など、幅広い専門分野の著書。中・右/現在も人気の「アイビーボーイ」のシリーズ。コンセプトを作り10年かけてリファインして作り上げたキャラクター。老若男女問わずフィットするプロポーションだ。近々「アイビー図鑑」の第3弾が出る。で、アイビースタイルの注文服を仕立てたりしたといいます。すべてはそこがスタートでした。後に日本で「アイビールック」とよばれ、独自の発展と流行を生み出したのです。 アイビーの洗礼を受けたのは、高校生や大学生だった団塊の世代でした。若い時にトラッドの基礎を作った人は、着こなしがうまいといいます。「アイビーやトラッドは単なる流行ではなく、着こなしのルールがありフォーマルからカジュアルまで全部カバーできているんですよ。今の若者はそれが分からない人が多いから、カジュアルは最先端でも、結婚式には黒いスーツに白いネクタイということになってしまう。最近はアイビーがトレンドに再浮上しているようだけど、アイビーを流行で捉えてしまうと、そのカッコよさは理解できないと思うね」

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