つなぐ通信 vol.05 2014春号
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05TSU NA GU TSUSHIN 写真=貝塚純一 文=成田典子 由緒ある名所をつぶしたくない二百年続く百花園を愛する想いしつけはありがたい賜物父が『墨東歳時記』に込めた想い美しい遺産をつなぐ人々 墨田区東向島にある「向島百花園」佐原家の大女将・佐原洋子さんに初めてお会いすると、その美しさに驚きます。端切れのいい江戸弁、粋な着物姿で登場するかと思うと、自転車であちこち出かけるという活動派。「子供の頃からおてんばだったのよ」と笑う洋子さんを知るには、百花園の歴史を語ることから始めなければなりません。 向島百花園は江戸時代、骨董商を営んでいた佐原鞠塢により開園されました。「墨東」と呼ばれる隅田川東岸は、南部は本所の町に接し、、北部は江戸に野菜を供給する農村地域。向島は静かな田園趣味あふれる地として、江戸の文人墨客を魅了していました。百花園は梅の名所として、また「四季百花の乱れ咲く園」として賑わい、江戸庶民の行楽地として愛されてきたのです。 しかし向島界隈は隅田川のたび重なる洪水に見舞われ、百花園も大きな被害を受けました。また近郊に行楽地が増88歳 佐原洋子さん向島百花園・佐原家7代目春は梅の名所、秋は30mの萩のトンネルなど四季折々の美しい庭園が楽しめる。左上は江戸の文化人太田南畝(蜀山人)の書。洋子さんの父方の実家の白鬚神社。旧寺島村の鎮守様で、お正月は祭神の寿老神の七福神巡りが行われる。夏の例大祭は、墨東地区最初の夏祭りとして神輿が担がれ賑わっている。1月「七福神巡り」8月「虫ききの会」9月「月見の会」など江戸時代から続く行事が行われている。佐原家では七草粥は「七草叩き」を唄いながら七草を叩いて作る。「春の七草籠」は毎年宮中に献上される。(写真提供:佐原滋元さん)■向島百花園東京都墨田区東向島3-18-3向島百花園サービスセンター: ☎03-3611-8705 9:00~17:00http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index032.htmlえたこともあり客足も減少し、大正期には窮地に追い込まれたのです。それを救ったのが、近くに屋敷を構え石油で財を成した小倉常吉でした。各界の名士が訪れた「由緒ある名所をつぶしたくない」と百花園の買収を申し出たのです。そこには居住権・営業権は従来通り佐原家に委ねるという紳士協定があったといいます。昭和に入ると永久保存のために現東京都に寄付をすることにしました。その条件にも佐原家の伝統を重んじ、管理業務を委ねることを要望したのです。 その後関東大震災にも火難を逃れましたが、東京大空襲でほとんど焼け野原状態。しかしまたしても百花園を愛する地元民が東京都に復興を嘆願し、都の職員などの努力で昭和24年に再開することができたのです。 実は佐原家はお母さんの実家なのですが、6代目となる叔父さんが戦死したため、二人の子供を連れて出戻っていた洋子さんが7代目として、百花園をさはら きくうぼくとうぶんじんぼっかく

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