つなぐ通信 vol.05 2014春号
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 世の中には「アンチ」と「シンパ」がしばしば対立しているものだが、そのテーマの一つに「司馬遼太郎史観」を巡る対立がある。司馬遼太郎の描き出す「歴史活劇」から大きく学んだという読者がいるかと思えば、「いや、あれほどまでに歴史を歪曲させた作家は他にいない」と口をへの字にする読者も大勢いる。「所詮、彼の作品はエンターテイメント」と割り切ってしまえば大したことはないのかもしれないが、現代政治・経済を司るリーダーたちまでもが「司馬遼太郎から多くを学んだ」などと言い出すので事態はややこしくなる。そこで「アンチ司馬」と「司馬シンパ」が未だに喧々諤々なのだ。 司馬遼太郎が描き出す人物像の中でもとりわけ人気なのが明治を駆け抜けた群像である。閉塞感が続く現代に生きる目から見ると、「司馬活劇」の中で描き出される人物たちは余りにも痛快であり、豪快である。「それに比べて現代は・・・」と嘆く向きが絶えないのだ。 やや前置きが長くなったが私は「アンチ司馬」である。といっても、司馬遼太郎批判をここでしたいのではなく、あえて「司馬活劇」が光を当てなかった人物にこそ、歴史の真実があるということをここで述べておきたいのである。主人公は伊東巳代治、宰相・伊藤博文の下で内閣書記官長として采配を振るった人物である。 実は何を隠そう、「明治の群像」というと私はどういうわけか、無論会ったこともないこの「伊東巳代治」なる人物だけに惹かれてきた。遂にはそれが昂じて『「日本叩き」を封殺せよ 〜情報官僚・伊東巳代治のメディア戦略』(講談社)とい伊東巳代治という「怪物」に学ぶ「司馬活劇」にはない歴史の裏の真実イラスト=クニ・トシロウTSU NA GU TSUSHIN 34

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