つなぐ通信 vol.05 2014春号
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14TSU NA GU TSUSHIN no.051969年フリー編集者のスタートが『平凡パンチ』。主にグラビアを担当。「退屈は罪だ。」寺﨑央の軌跡日本の雑誌の高度成長期を築いた60年代後半〜80年代、『メンズクラブ』『平凡パンチ』『ポパイ』『ブルータス』などで若者文化に刺激を与え続けた特異な編集集団がいました。その中心にいたのが破天荒なフリーエディター、寺﨑央。アイビーの教科書だった『メンズクラブ』には4年間在籍。気がついたら自分はアバンギャルドに…(左/1970年7月号、右/1970年12月号)構成・レイアウトはもとより(経費が無くて)スタイリストも担当。ファッション誌のようなスタイリングに驚く。カメラマンは長濱治(1968年9月号)アポ無し突撃取材でアメリカを撮影しまくって完成した伝説のムック。リーバイス501を初めて日本に紹介するなど、カジュアルウエア、アウトドアギア、家具、ホビー、楽器、バイクなどアメリカ製品満載。ここからカタログ文化が始まった。構成・文担当(1975年4月25日発行)洋画で見たスターのカッコを真似してオシャレしようとする企画。構成・文を担当。簡単な電話打ち合わせで凄いイラストを仕上げる斉藤融を絶賛(1969年8月25日号)MEN’S CLUBMade in U.S.A.月刊 婦人公論WEEKLY 平凡パンチ資料提供:テラ本制作委員会 これらの雑誌がすべて30年以上前に作られたことに目を疑うかもしれません。今日の雑誌の原型はこの時代にあったのです。その先頭を走っていたのは「テラさん」こと寺﨑央。彼を知れば知るほど、その才能に驚き、実験や荒事ができたパイオニア時代をうらやましく思うかもしれません。編集者でありライター、企画・構成・レイアウトはもとより、写真を撮り、イラストも描き、抜群のファッションセンスを持ち、スタイリストもやり、時には自らモデルにもなるハイパー編集者。人気メンズ雑誌などで見たことのない度肝を抜く企画と編集で活躍しました。 テラさんは退屈なものをこの上なく嫌い「ブチ破れ!ダメだ!バカヤロー!」を口癖に、常に新しいこと、面白いこと、刺激的なことを求めるアナーキーな男。70年代初めはヌードやポルノチックなもので時代に挑戦。中には発禁となったものもあります。アメリカでの突撃取材で完成した伝説のムック『Made in U.S.A. catalog』(1975)は1週間で売り切れ、若者の「カタログ文化」の火付け役となりました。ファッション、アウトドア、カメラ、バイクやスポーツなど、趣味を反映した雑誌作りからは「ライフスタイル」という新しい価値観が生み出され、本能の臭覚で若者文化を牽引してきました。

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