つなぐ通信 vol.04 2013冬号
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19TSU NA GU TSUSHIN 満州四平街生まれ。日本音楽学校卒業後、ジャズ系ポピュラー歌手としてプロの道に入る。その後、レイモンド・コンデとゲイ・セプテッドの専属歌手となり、2年ほど在籍して独立。以後、テレビ、ラジオ、ステージ、ライブ・ハウスとジャズ一筋に歌い続ける。1974年から「マーサ三宅ヴォーカルハウス」を開校。大橋純子、今陽子、芹洋子など多くのスターを輩出。右上/ジャズスタンダードの名曲を歌った『マイ・フェイバリット・ソングス』。左上/ロングセラーとなった『愛の哀しみを歌う』。マーサ三宅さん写真=貝塚純一 文=三浦真紀 Vintage Caféインタビュージャズシンガー  マーサ三宅4ジャズを歌い続けて60年。やっぱり私は働き虫なのよね。聴く人をうっとりさせる魅惑の歌声。年齢を重ねて増す、ジャズの円熟味。日本ジャズ界の草分け的存在は、今もマイクの前に立ち続けています。振り返れば苦労の連続。負けじ魂だけで生きてきた レパートリーは1000曲ぐらい。若い頃に覚えた曲は忘れられないですね。『センチメンタル・ジャーニー』はミュージシャンにすすめられて、初めて英語で歌った、思い出深い歌。名曲『スターダスト』では自分のものにしたという喜びを実感しました。 この年齢になって歌っていると、皆さんがよくやったと応援しながら聞いてくれているような気がするの。だからいつも平和な気持ちで歌っています。私が若く、あちこち飛び歩いていた頃は、何この若い子?というトゲトゲしさを感じたこともありました。でも皆さん、割と私に好意的なのは、私の人生を考えてのことかもしれない。苦労している感じがあったんじゃないかしら。 子供の時から歌うことは好きだったんです。幼稚園の時から独唱させられ左上/ロングセラーとなった『愛の哀しみを歌う』。ご自宅の楽譜がぎっしり詰まった書棚の前で。

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