つなぐ通信 vol.04 2013冬号
17/40

17TSU NA GU TSUSHIN MoMA(ニューヨーク近代美術館)に採用されたオリジナルストール(写真)。織った後で熱で縮絨(しゅくじゅう)加工を行うと糸がくっつき、ニットのような不思議な風合いになる。今は本業に追われ、なかなか自社製品が作れないという。工場にはシャトル織機が9台ある。「シャトル」は、よこ糸をボビンに巻き付けて織り込む器具(写真)のこと。高速織機主流の現在ではシャトル織機で織る所は少ないが、柔らかくふっくらと味わいある織物となり良さが見直されている。ハイテク時代の手織り機と「多摩織着物プロジェクト」 着物需要が激減した現在、八王子で「多摩織」を織っているのは、澤井を受けました。しかし戦後の衣料不足から織物需要が高まり驚異的な復活。ガチャンと織れば万というお金が儲かるという「ガチャ万」景気を迎えたのです。 儲かる織物にシフトした織物工場が多い中でも、伸さんの父の故・榮一郎さんは、「ただ売れるだけではつまらない」と、手間のかかる伝統織物を織ることをやめませんでした。儲けのみを追求する風潮に危惧し、八王子の伝統的な織物を残そうと奮起。1980年(昭和55)ようやく「多摩織」が伝統工芸品に指定されました。伝統工芸品は1産地1品種が一般的ですが、「多品種」が特徴の八王子織物産地では「紬織」「お召し織」「風通織」「変わり綴」「捩り織」の5種類となりました。榮一郎さんや先代が織ったものは、下絵が独創的で、ほぐし絣に綴れ織が入っていたり、金糸や銀糸を入れた凝った複雑なものが多く見られます。「他ではできないものをやる」ことは、澤井織物工場の伝統として伸さんにも受け継がれていきました。つむぎめふうつうつづれもじかすり織物工場を含め2軒のみ。注文を頂いてから織るという状況です。しかし手織り機の需要は思わぬところからありました。銅線でコンピューターの静電気を放電する接地網を織ったり、特殊な糸で有名ブランドのストールなどを織ります。手織り機でしかできないもの作りなのです。また伝統織物の普及のために「多摩織着物プロジェクト」も立ち上げました。織り経験のない方が、伝統工芸士でもある奥さんの恵子さんの指導を受けながら20日前後で多摩織の紬を一反織り上げます。「中には小論文の表紙を多摩織で織りたいと訪ねてきた中学生もいました。織った生地で着物を仕立てた方もいらっしゃいましたね」。女子美の工芸科を卒業して、手織りの世界に入った恵子さんは、織物が縁で伸さんと結婚。お嬢さんも仕事を手伝っている織物一家となりました。

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です