つなぐ通信 vol.03 2013秋号
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07TSU NA GU TSUSHIN 憧れの古き佳きニッポンにあるアナログの感性を大切にしたいの! しかし、かつて「東をどり」で観た芸者衆たちの艶やかで楽しそうなシーンが目に焼き付いて離れません。「自分のフィルターを通して和芸を楽しく伝えていけないものか…」うめ吉さんは、戦後流行したジャズを取り入れた和洋折衷の音楽に興味を持っていました。 俗曲師のうめ吉さんも「自分探し」をしながら「和の文化」の洗礼を受けたひとりでした。岡山県倉敷市で江戸時代より薬問屋を営む旧家に生まれましたが、家はキリスト教、習い事はバレエにピアノというように、「純邦楽」とは無縁の子供時代を過ごしました。古典的なものへの興味は全く無く「早く東京へ行きたい!」一心で高校を卒業して上京。OLなどをしながら目標もなく暮らしている時、運命の出会いとなったのが新橋演舞場で観た「東をどり」でした。 新橋の芸者衆による艶やかな踊りと迫力ある三味線演奏に「私は本当の日本の素晴らしさを何一つ知らなかったのでは…」とショックを受けます。日本人女性の美しさに見とれ、自信に満ち溢れた芸者衆の艶姿に驚き、それはすぐに憧れへと変わり、俗曲師うめ吉さん「俗曲(ぞっきょく)」とは寄席や酒宴の席でうたわれるような短くて軽い曲。江戸から昭和にかけての小唄、端唄(はうた)、都々逸(どどいつ)から民謡や流行歌などを、三味線を弾いて唄ったり、踊ったりします。私はガイジン?美しい日本人になりたい!俗曲は元祖Jポップ純邦楽のエンターテイメント性和の文化への目覚めとなったのです。「芸者さんになろう!」と決心したのですが、厳格な両親の猛反対を受け断念。せめて「美しい日本人に少しでも近づきたい」と、まずは三味線の稽古を始めました。 その後、国立劇場に「寄席囃子研修生」制度があることを知り応募して合格。寄席に行ったこともなく、三味線の経験も浅く不器用で、しかもアルバイトをしながらの毎日。人よりも何倍もの努力が必要でした。 二年間の研修期間を経て無事卒業。落語芸術協会に所属して、寄席の「お囃子さん」へと進みます。その後檜山さくら師匠の勧めもあり「俗曲師」として高座デビュー。たちまち寄席の人気者になります。ぞっきょくし

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