つなぐ通信 vol.03 2013秋号
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05TSU NA GU TSUSHIN 技術の伝承こそが地域や日本の伝統文化を守るのです。廃棄同然の美しい型紙を「修復したい!」から始まった職人を支える優れた道具職人を日本から失いたくない!伝統工芸士・修復士・友禅師瀬藤 貴史さん 瀬藤貴史さんが伝統工芸の世界に入るきっかけとなったのは、着物などの型染めに用いられてきた「型紙」との衝撃的な出会いでした。型染め職人のところで見たものは、痛んで山積になった古い型紙。西洋では「美術品」として高い評価の型紙も日本では「消耗品」だったのです。「この美しい型紙を修復して、次の世代につなげることはできないものか…」この思いが瀬藤さんの運命を大きく変えました。 当時システムエンジニアという仕事に悶々としていた瀬藤さんは、「修復」<秋号>の表紙を飾ったべっ甲に蒔絵(まきえ)を施した赤いかんざし(写真左)。逆光やろうそくの灯りでは実に幻想的(写真右)。灯りを計算した見事な工芸品です。伝統技術を用いたものは「自然の灯り」で見ると蛍光灯では気がつかなかったものを感じるといいます。これからクリーニングを行う銀のかんざし。ピカピカにし過ぎると趣が無くなるので、一番美しい経年状態で仕上げるのが感性の見せどころ。黒ずみを取った後、再度黒くなるのを抑えるためにニカワとミョウバンを混ぜたものを塗ります。1974生まれ。埼玉県鴻巣市出身。システムエンジニアから心機一転、東京藝術大学大学院で修復や染織等を学ぶ。現在実家の(株)三八染工場に席を置きながら伝統技法を用いた現代アートの制作、工芸品などの修復、桜美林大学の講師、文化学園大学ファッション研究機構の研究員として伝統文化の保存と継承活動をしている。昨年長男が誕生。Takashi Seto置屋さんから預かっているかんざし・櫛・笄(こうがい)の数々。という新たな目標を見つけ、さっそく東京藝術大学大学院の文化財保存学専攻に入学。その後、助手を務めながら古美術の修復に関わります。そして工芸科染色研究室の助手となり、現代表現としての染織を学びます。 文化財の修復を通じ、間近で見る「本物」が醸し出すオーラは、瀬藤さんを魅了しました。「江戸時代の人がこんな凄いことをしていたのか」それはカルチャーショックであり、「日本人」であることに誇りを持てた大きな出会いでもありました。「連綿と続いてきた伝統技術や文化を守りたい。伝えて行きたい。世界に発信したい」この時期からモノの見方や見え方が変わったのです。 友禅師としての制作活動や修復士としての仕事と平行して行ったのは、「道具職人」「材料職人」の調査でした。優れた職人の仕事は優れた道具や材料を作る職人によって支えられています。しかし、明治時代以降のヨーロッパ文化の流行、工業化による安価な大量生産により、日本の伝統工芸・伝統技術は大きく後退。職人を支えてきた道具職人たちも急激に減少していたのです。

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