つなぐ通信 vol.04 2013冬号
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 「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」徳川家康の言葉である。この言葉、凡人が語っていたのでは全く迫力に欠けるが、何せ265年余りにも続く世を創り出した人物の言葉なのである。大変な重みを持っていることは言うまでもない。 天下統一を成し遂げた徳川家康の人生は、そもそもその出発点において「生への執着」を決定づけられたものであった。1543年に地方豪族「松平家」に生まれた後の徳川家康(当時は「竹千代」)は早々に祖父・松平清康が家臣によって惨殺されるという悲劇に見舞われる。 父であり嫡男であった広忠は伊勢に逃れた後、守護大名であった今川氏をバックに松平家の立て直しを図ろうと画策する。そこで今川氏への忠誠の証として差し出された人質が幼い子・竹千代だったというわけである。 ところが運命とは実に分からぬもので、「人質」竹千代はその移送の途中に織田氏に奪われてしまう。その後、人質交換が織田・今川の両氏の間で行われる中、竹千代は今川氏へと改めて送られることになるわけだが、いずれにせよ明日をも知れぬ「人質」の身なのである。「生き残ること」への執着心が幼心に植え付けられたことは間違いない。 そもそも古来、東洋では「覇者」となる道は2つあると教えられてきている。一つは力によって支配者へとのし上がる道、そしてもう一つは生活を整えていくことにより周囲の力を糾合し、ついには支配者へと上り詰める道である。古神道の世界では前者を「仁侠」と呼び、後者を「礼」と呼んでいる。徳川家康を天下一に導いた「礼」2つの覇者への道「仁侠」と「礼」イラスト=クニ・トシロウ34TSU NA GU TSUSHIN

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