つなぐ通信 vol.02 2013夏号
20/40

06TSU NA GU TSUSHIN ボンネットバス(上)は約10の工程で製造される。①オフセット印刷したブリキ板。②ブリキの鋳型。③型を抜きながら少し絞り、凹凸をつける。④工場前に積まれたリンゴの木箱はブリキのパーツを入れたり大活躍。⑤さらに深く絞り立体感を出す。⑥右手のパーツは絞りに失敗しシワができてしまったもの。⑦ボンネットバスの前部分。ブリキの笛は創業当時のアメリカ輸出の主力商品。人気テレビ西部劇『ローンレンジャー』のテンガロンハットをかぶったヒーローシリーズや、ベースボール、サーカスのキャラクター、時計などお宝アイテムがザクザク!(有)三幸製作所を訪ねて今もこれだけの種類が作れるブリキ玩具工場はそうはない原点は戦後輸出したブリキの笛 日本のブリキ玩具の本格的生産は明治の後半。昭和10年頃には技術も創意工夫も増し、戦前の黄金期を迎えたといいます。第二次世界大戦で一時生産が途絶えましたが、戦後はいち早くアメリカへの輸出産業として復活し、国際競争力を養っていきました。 戦後間もない昭和23年(1948)、三幸製作所は日本のもの作りを支えてきた町工場の地、葛飾区に創業しました。アメリカへの輸出品としてブリキ玩具は活気を呈し、工場では従業員10人がフル活動。ブリキの笛を中心に、1日1万個を生産していたといいます。 そういって柳沢社長が事務所の奥から取り出してきたのは、なんと当時輸葛飾区にある三幸製作所は雑貨デザイナーの川原恵美子さんが企画したオモチャを製作したブリキ玩具メーカー。「コレクター冥利に尽きる」仕事を体験できた老舗工場を一緒に訪ねました。上/小中学生の見学用に作ったブリキロボット製造工程。 右/ロボットの木型の模型。左/三幸製作所の柳沢總光社長。 右/川原恵美子さん。(有)三幸製作所http://homepage2.nifty.com/sankou_seisakusyo/出していた「ローンレンジャー」の笛。1949年から始まったアメリカの人気テレビ西部劇のヒーローです。思わぬお宝に川原さんの目が輝きます。日本のブリキは色のきれいさに定評があるといいます。保管の良いものは、年月が経っても鮮やでピカピカです。しかし、1ドル360円の固定相場制から変動相場制に切り替えた70年代頃から輸出は伸び悩みます。プラスチックが玩具の材料としてブリキに取って代わったのも大きな原因でした。 生産はどんどん減少し、現在輸出は皆無。日本のブリキ工場は数社といわれ、三幸製作所に後継者はいません。「現在も作って販売できるこれだけの種類を持っているブリキ玩具工場はそうはない」そう語る柳沢社長に、日本のもの作りのプライドが光りました。川原恵美子さん雑貨デザイナー、(株)ユー・プランニングでOEM商品の企画開発を手掛ける。著書『紙はんがあそび』ポプラ社。PRESENT川原さんが企画して三幸製作所が製作した豪華客船「ぱしふぃっくびいなす」のブリキのオモチャを日本クルーズ客船(株)より3名の方にプレゼントします!船内でしか売っていないレアものです!応募方法は37ページをご覧ください。

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です