つなぐ通信 vol.01 2013春号(創刊号)
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ジャズ喫茶「Funky」から始まった吉祥寺物語11TSU NA GU TSUSHIN  吉祥寺のジャズ喫茶「Funky」やライブハウス「SOMETIME」を知っていても、野口伊織という名前を知っている人は、今どれだけいるのでしょうか。1942年生まれ。吉祥寺だけでも20軒以上の人気飲食店を手がけたオーナーであると同時に、店の空間作りに徹底的にこだわった天才的なプロデューサー… 「まだ田舎だった吉祥寺の町に、野口さんは次々としゃれた店を作っていった。野口さんと彼の店は、私の青春時代の憧れでした」と語るのは、吉祥寺生まれで野口と同世代を過ごした藤川征輝さん(monoギャラリー・オーナー)。 野口が人生で最初に店作りに関わったのは高校2年生のとき。東京都港区新橋から吉祥寺に移り住み、父は純喫茶を経営。売り上げが芳しくない地下の打開策に伊織少年が「うちもジャズ喫茶をやらないか」と提案したのです。折しも時代はモダン・ジャズブーム。都心にはジャズ喫茶がいくつも登場し、伊織少年も、高校生ながらバンドでサックスを吹くようなジャズマニアでした。父は息子のアイディアを採用。1960年4月、地下のジャズ喫茶「Funky」が誕生しました。店はたちまち人気を呼び、武蔵野野口伊織は東京都下谷(現在の台東区)の生まれ。コム・デ・ギャルソンのシャツやジャケットの袖口をたくしあげてさりげなく着崩す人だった。明治、大正時代に洋館と称された和風様式の建物をテーマに建てられた「Funky」。アナログレコードのストックも豊富。ジャズを聴きながら選び抜かれたワインをのんびり味わいたい●東京都武蔵野市吉祥寺本町1-7-3☎0422-21-1464、16:00~02:00美術大学の学生を始め、多くの若者が押し寄せたのです。 大学卒業後、正式に家業を継いだ野口は「Funky」の全面改装に乗り出します(66年)。地下1階から地上2階まですべてジャズ喫茶として生まれ変わり、地下スペースには 鳴る高級家具 の異名を持つスピーカーシステム「パラゴン」が。まだ個人が高性能のオーディオシステムを持つことが稀であったこの時代、ゆったりとした空間で、より生に近い音を聞かせる「Funky」はジャズファンで溢れかえり、日本中から人が訪れるようになりました。その後、野口は立て続けに新店舗をオープンさせていきます。ロック喫茶「be-bop」(70年)、ジャズ喫茶「アウトバック」、ロック喫茶「赤毛とそばかす」(ともに72年)、「西洋乞食」(73年)、そしてジャズ専門のライブハウス「SOMETIME」(75年)。 「野口さんの店のデザインにはいつも驚かされました。とくに白い壁と鉄パイプを駆使した空間に剥製のカラスが飛ぶ「アウトバック」は衝撃的だった。あの異様さがシャープなジャズの音と妙に合って、独特の雰囲気。地元にあんなかっこいい店ができたのが、すごく嬉しかった」と藤川さんは目を輝かせます。今も人気の「out back」。オープン当時のエントランス。よきライバルだったジャズ喫茶「メグ」の主人、寺島靖国さんと。伝説の店「西洋乞食」PRESENT Funkyにて「ワインボトル1本」をプレゼント!応募方法は33ページをご覧ください。オープン時から現役でいまも素敵な音色を響かせる“パラゴン”。オープン当時の「Funky」KichijyojiFunkySOMETIMEOLD CROW金の猿至 新宿中央線至 三鷹至 渋谷OUT BACKノ貫(2F)LEMON DROP(1F)わらう月(B1)蔵MARUダイヤ街元町通りパルコ井の頭線井の頭公園丸井東急デパートLOFTF&Fサンロード吉祥寺駅〒卍

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