つなぐ通信 vol.03 2013秋号
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35TSU NA GU TSUSHIN 消滅した宗教といわれるマニ教とは政治権力が選ぶ宗教とはのように完全に政治権力と一体化したザラスシュトラが説く「叡知の神アフラ・マズダー」を中心とした宗教、すなわち「ゾロアスター教」はその後も古代アーリア人において支配的な宗教としての地位を築いて行くのである。 一方、「マニ教」はというと恐らく読者はもっとぴんと来ないのではないかと思う。しかしキリスト教で有名なアウグスティヌスが387年にイタリアのミラノで洗礼を受ける前、実は「マニ教」の信徒であったということ、あるいは731年には中華帝国「唐」の玄宗皇帝が中国語でマニ教の教義概要と戒律を作成したということなどを聞けば、少々親近感を持って頂けるのではないだろうか。 「マニ教」の始祖であるマニが生まれたのは208年(ないし216年)、バビロニアの北東から南へ流れるナール・クーター河の上流にある田舎の集落で誕生した。そして25歳になるまで、ユダヤ人キリスト教エルカサイ派の教団の中で暮らしていた。しかしそんな彼にもやがて啓示があり、教団との別れがやってくる。ユダヤ教的な教義に塗れていたエルカサイ派を飛び出し、イエス・キリスト教の使徒パウロを真似て自らマニ教の『使徒』となったのである。そしてササン朝ペルシアへと辿りつくことになる。当時その宗教は先ほど述べた「ゾロアスター教」であった。 しかしマニが説く深い教義はその王シャプール1世の心を大きく揺さぶることになる。そしてその死(272年ないし273年)までマニは王によって庇護されたが、その息子バハラームは一切その言葉に耳を貸さなかった。 このことに怒り狂ったマニは非常手段に出る。先王シャプール1世が書き遺した自らへの帰依の言葉をバハラームの面前で読み上げたのである。これに怒り狂ったバハラームはマニに重さ50キログラム(!)もの鉄の鎖を首にひとつ、足に3つ、手にも3つ結わえ、拘束する。事ここに至ってマニは自らの最期を知り、弟子たちに訣別の言葉を与える。そして衰弱して死亡する―――。 そして現代。イランにおいては国会に「ゾロアスター教徒」の指定席が依然として存在している。その一方でマニ教は完全に死に絶え、今や歴史書の中にだけ残っている。なぜここまでこれら二つは運命を異にしたのか。 その秘密は「規律と享楽」の度合いにある。―――マニが求めたのは絶対的な信仰の世界であった。修道士たちは白衣の着用だけが許され、信徒たちは皆、徹底した菜食主義を通した。週ごと、あるいは年ごとの断食もあり、その間は食事のみならず一切の性的関係も絶つべしとされた。また全ての乳製品やビールも禁物とされた。正に「禁欲的な生活」である。 これに対して「ゾロアスター教」はといえば、真反対であった。キリスト教の禁欲やヒンドゥー教の苦行を厳しく批判。マニ教の出家生活は「悪魔の誘惑」であるとまでした。そうではなくて生産活動に従事し、東京大学法学部在学中に外交官試験に合格、外務省に外務公務員Ⅰ種職員として入省。12年間奉職し、アジア大洋州局北東アジア課課長補佐(北朝鮮班長)を最後に自主退職。現在、独立系シンクタンク代表。「すべての日本人に“情報リテラシー”を!」という想いの下、情報リテラシー教育を多方面に展開。自ら調査・分析レポートを執筆すると共に、国内大手企業等に対するグローバル人財研修事業を全国で展開する。また学生を対象に次世代人材の育成を目的とする「グローバル人財プレップ・スクール」を無償で開講。近著『インテリジェンスのプロが書いた日本経済復活のシナリオ??「金融立国」という選択肢』(中経出版)。最新刊は『それでも「日本バブル」は終わらない』(徳間書店・9月11日発行)OG GIKEN PRESENTSTakeoHarada株式会社原田武夫国際戦略情報研究所代表取締役(CEO)原田武夫 各人の義務を果たし、人生を存分に楽しむことこそ「善」としたのである。音楽や舞、それに飲酒も普通に行われていた。肉料理やワインを楽しむことも出来たのである。最大数の人心を得ようと日々努力する政治権力が「ゾロアスター教」と「マニ教」のどちらを選ぶのかは火を見るより明らかであった。なぜならばそれが「人間そのもの」なのであるから。 結局、最後に人を突き動かすのは「規律」ではなく「享楽」であり、その意味での「人間」そのものなのである。その変わらぬ事実を遠くオリエントの宗教の興亡史が教えてくれる。やれ「アベノミクス」だ、「バブル」だと言っている我が国の今だからこそ、このことを思い出しておきたいと思う。株式会社原田武夫国際戦略情報研究所 http://www.haradatakeo.com

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